ロングヒット中のポップカルチャー恋愛映画「花束みたいな恋をした」
映画館に行って観てきましたが、ただの恋愛映画ではなく若者の社会との向き合い方についても考えさせられる良い映画でした。
ちょっとサブカルでポップカルチャー好きな普通の男女が普通の恋愛をして、普通に破局するまでを描いた作品ですが、その普通さに共感を覚える人が多いのではないでしょうか?
アツい恋愛をした二人の馴初めから終わりまでを描いた映画としては「500日のサマー」が想起されましたが、もちろん現代を生きる日本人が共感するのは本作だと思います。
そんな僕も漏れなく共感の渦に巻き込まれ胸の痛い鑑賞後を過ごすことになっていますので、記憶に残ったシーンについて殴り書いていきます。
他のサイトのレビューを観ていると、そんなに深い内容が隠されている…?
考察が鋭すぎる…と思わされたりもしましたが、持つ感想は十人十色ということで普通のレビューを書いていきます。
記憶に残ったシーン①:終電を逃した4人の男女の対比
まずは物語冒頭、菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹が初めて出会うシーン
ここでは、明大前駅でたまたま終電を逃した男女四人が近くのカフェで一緒に時間を潰すシーンが描かれていましたが、サブカル寄りな麦と絹の正面に座るのはメインストリーム寄りの男女。
会話の内容やノリ、風貌からしても二組が違ったカルチャーの中に住んでいるのが観て取れます。
メインストリームの男性はショーシャンクの空に、女性はジブリが好きだという話で盛り上がっています。
僕もショーシャンクでは泣きましたし、ジブリもだいたい観ていますがこの話で心から盛り上がれる自信はありません。
対して、麦と絹が発見するのが押井守さん。
「神がいる…」とこぼす麦に対して、向かいの二人は「誰それ?」という反応です。
ここではたまたま押井守さんですが、誰もが知る超有名コンテンツではなく10人いたら9人が知らないようなコアな好みがあると、それを知る人に出会った時には一気に親近感が湧くものです。
僕は押井さんは知りませんが(サブカル好きにも色々あります)、例えば元SUPER BUTTER DOGのボーカルの永積さんがそこにいれば興奮が止められません。
店を後にした時も、ハイテンションのままタクシーで夜の街に消えていく二人と、そのまま普通に解散しようとする麦と絹の二人の対比が見られます。
圧倒的に極端な二組の対比にとても「わかるわかる…」と思いながら観ていました。
メインストリーム側の方が見るとどう感じるのかが気になるところです。
記憶に残ったシーン②:突然不機嫌になる絹
その後押井守さんをきっかけに仲良くなった二人が居酒屋でお互いの趣味について話し始めるシーンです。
ここでお互いの靴がコンバースのジャックパーセルでたまたまお揃いだったというのも実ににくいですね。
スニーカーの中でもVANSのオールドスクールでもコンバースのオールスターでもなく「ジャックパーセル」というのがにくすぎます。
ジャックパーセルには飾らないながらもちょっとしたこだわりを持って履いているという感性が見え隠れします。
僕はNIRVANAのカートコバーンが好きで履いていました。
そして、本の趣味を映画の半券をしおりがわりにすることなど、共通点が見つかれば見つかるほど話が盛り上がり会話が止まることを知らなくなります。
世間でマイナーとされているような趣味嗜好がここまで合致することなどそうそうないので、そりゃあ盛り上がります。
あっという間に二人は仲良くなって、ここまではお互いの趣味が合うことに無邪気に会話を楽しんでいましたが、天竺鼠のチケットの話題(今日会うためのチケットだった)をきっかけにちょっと恋愛的な意識をし始めるシーンもあります。
ここまでの流れもとても共感できる部分なのですが、絹がトイレに行くと席を立った時に麦が気になっているであろう?大学の同級生の女の子グループが入店して合流しようよと誘ってきます。
ここで、あんなに楽しそうだった絹の顔が少し曇りトイレから戻ってきたらそのまま帰ろうとしてしまいます。
このシーンは他のレビュー記事ではあまり取り上げられていないのかな?と思いますが、個人的に記憶に残っているシーンです。
ふと夢から覚めたような、現実に引き戻されたような絹の顔がとても印象的です。
ここは「女心は難しいな」で終わらせる場面ではないと思っています。
深夜の居酒屋で、たまたま出会ったあまりにも趣味嗜好が似ている人、運命を感じるような出来事であり、深夜の居酒屋には周りに誰もいない。
本当に文字通りこの空間に夢中になっていたところを、麦の大学の同級生というあまりにも現実的な存在が現れたことにより一気に現実に引き戻されたというのが正解なのでしょうか?
ここは少し解釈が難しかったです。
ぜひコメントで解釈を教えていただけると嬉しいです…
記憶に残ったシーン③:パズドラしかできない
付き合って二、三年経った時に、麦が仕事に忙殺されて絹との喧嘩に発展する際に「パズドラしかできない」と言ったシーンです。
麦が今までは好きで読んでいたゴールデンカムイや、ゼルダの伝説のゲームなどに割く時間がない、というより時間を割く気力がなく、何も考えないでいいパズドラしかできなくなっています。
時間がある大学生のうちは興味のある分野についてとことん調べたり、コンテンツを大量に追い求めたりするものです。
この映画が好きな人におすすめの映画はなんなんだろうと調べて片っ端から観ていったり、好きなバンドのルーツのバンドを辿って無限に広がっていったり。
ところが、社会人になってある程度自由な時間が制限されるようになるとそこまでの気力を持って追求することができなくなるんですね。
もう既に好きな曲ばかりを聴いたり、惰性でテレビを観たり。段々と自分の趣味を深掘りできなくなってきます。
そこで、自分が本当に好きなことに気づいたりもするのかなと思うのですが、麦の場合はブラック企業に忙殺されて好きなことにも脳や体力のリソースを割くことができなくなっています。
その状態でできるのは何も考えずにできる「パズドラという作業」だけということですね。
電車に揺られる無気力なおっさんのそれと全く同じ状態になってしまっています。
イラストレーターという夢に向かって活き活きしていた頃の麦が一番なりたくなかった大人になってしまっているのではないでしょうか?
色々な事について諦観を帯びてしまっている麦と、自分が好きなことを仕事にしようとしている絹の対比による摩擦がここでもリアルに描かれており印象に残りました。
記憶に残ったシーン④:レストランでの別れ話
最後のジョナサンでの別れ話のシーンです。
ここは他のサイトで深いレビューがたくさんありましたが、僕は単純に受け取っていました。
今の自分たちと過去の付き合い始めた頃の自分たちを比べてしまい、それぞれが別れに対する実感が湧いてしまい泣いてしまったという受け取り方です。
ここで注目したいのが麦と絹のスタンスの違いです。
別れを決意していたもののやはり結婚したいという麦と、別れるという決断は変わらない絹。
麦は社会に対するというかこれからの人生に対するある種の諦めがあり、久しぶりに楽しく絹と過ごすことができた当日の経緯もあり、もうここで結婚して落ち着いて過ごしたいという気持ち。
絹は転職先での仕事も充実しておりこれからの人生に対しても希望を持っている状況で、もう破綻してしまった関係は終わりにしてしまっても構わないという気持ち。
過去に自分たちが座っていた席で若いカップルが同じような会話をしているのを観て感じるのは何か。
麦は「あの頃に戻りたいけど戻れない現実」として、絹は「楽しかった過去の思い出」として感情が込み上げているのではないかと感じました。
麦は現在進行形で、絹は過去形で感じているということです。
まとめ:観る人によって感じ方が異なる
ということで、「花束みたいな恋をした」を鑑賞した勢いそのままにレビューを殴り書いてみました。
僕はメインストリーム寄りのサブカル勢という位置付けだと自分で認識しているのですが、純度100%のメインストリーム系の人やサブカル系の人、それぞれの立場によって感じ方が全く異なると思います。
また、現在の自分のライフステージや社会人での経験、恋愛経験、一緒に見にきた人が誰かなどなど感じ方の変数は様々です。
共感する部分が多ければ多いほどそれが感動に繋がることと思います。
「現在はそれぞれ価値観の合わなさそうな恋人と付き合っているが結局何が幸せなのか」
「それぞれの親が会いにきた時のことが麦にどんな影響を与えたのか」
「絹と社長は結局浮気したのか」
などなど他にも書きたいことは様々ありますが、こんなところにしておきます。
ここはこんな解釈をしている!などあればぜひコメントいただけると嬉しいです!
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